【成長をやめるのではない!?】「これからの成長」知っていますか?

食物とおカネ

ここでは『人新世の「資本論」』から、脱成長コミュニズムという考え方をご紹介しています。

こちらもご参照ください

資本主義は奪取です。弱いものから奪い、地球から奪い…気づいた時にはどうなっているのでしょう……。

科学技術もより複雑に、閉鎖的になっています。よく分からないものに、私たちの将来をゆだねて大丈夫なのでしょうか。

そこでマルクスは、地球を「コモン」として共同管理しませんか?と提案しています。

たしかに、マルクスは脱成長コミュニズムの姿を、どこにもまとまった形では書き残していない。

人新世の「資本論」 p203

しかし、膨大なメモ、ノートを読み解くうち、マルクスは多分こう思っていたのでは?斎藤さんが出した結論が「コモン」なのです。

脱成長コミュニズム流 生き方改革

「働く」を考え直す

資本主義の基本に「労働疎外」があります。

資本家は労働者を効率良く働かせるために、一連の作業をぶつ切りにして単純化します。繰り返し同じことをしたほうが数多くこなせる、つまり効率が良くなるのです。

そうすると、「モノを作り出す」という創造的な作業が、工夫しようのない単純作業になります。働く喜びから離れてしまうのです。

私も労働疎外を感じていました。自分が会社のどの歯車なのか。人の役に立っているのか。知りたくても企業秘密で教えてもらえません。むなしさが広がります。

しかし、戦前までは、みんな楽しく働いていたのです。

1930年代の熊本県須恵村(現あさぎり町)で調査を行ったアメリカ人のジョン・F・エンブリーの著書『新・全訳 須恵村-日本の村』に当時の生活が詳しく書いてあります。

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大型機械などない時代ですから、こなすべき重労働が山とある、それはそれは厳しい環境なのですが、

だが土を相手にする仕事は、機械相手の仕事とは違う。男はいつも座ってたばこをふかし、ひとしきりおしゃべりができるし、妻は赤ん坊に乳を飲ませるのに、ひと休みすることができる。土を相手にした仕事はまた、人に豊穣と性を意識させる。世界中の農民が開けっ広げで素朴なユーモアで知られているが、日本の農民も例外ではない。

須恵村

一年が巡り、農作業に追われ、そして終わりに近づくと、部落の人々や親戚が集まり、腹いっぱい飲み食いする愉快な時間を持つ機会が多くなる。

須恵村

そして、エンブリーさんは確信します。

須恵の暮らしは厳しい。朝は早く、厳しい肉体労働が伴う。しかし、焼酎があり、たくさんの焼酎を飲める祭りでいっぱいの陰暦の暦がある。暗い夜々があり、魅力的な娘たちがいる。月光が、美しい山々があり、年をとっても話ができる古い友達がいる。私は、球磨郡の魅力を理想的なものと考えてもいいと思った。

須恵村

一年通して一緒に農作業、最後に汗の結晶である収穫を共に祝う。その循環が続きます。人も自然の一部として循環していたのです。

そこに「労働疎外」は一切ありません。

「豊か」を考え直す

須恵村の人たちは豊かに生活していました。村の中だけで足りていたのです。

しかし、資本家はそれだと困ります。商品が売れないからです。

人々は生活していた土地から締め出され、生活手段を奪われた。そこに追い打ちをかけるように、それまでの採取生活は、不法侵入・窃盗という犯罪行為になったのである。

人新世の「資本論」 p238

共同管理していたものを「個人のもの」にしました。山で芝刈り、川に洗濯に行って桃を拾うと、不法侵入窃盗になってしまいます。

大量消費はいいこと、金持ちはすごいと人々に信じ込ませ、農民を労働者、消費者にしました。

一方、生活手段を失った人々は、多くは都市に流れ、賃金労働者として働くように強いられた。低い賃金のため、子供を学校に行かせることもままならず、家族全員が必死に働いた。それでも、高価な肉や野菜は手に入らない。食材の品質は低下し、入手できる品の種類も減っていく。時間も金もないので、伝統的な料理レシピは役立たずのものとなり、ジャガイモをただゆでたり、焼いたりする料理ばかりになっていったというわけだ。生活の質は明らかに落ちたのである。

人新世の「資本論」 p239

今だとファストフード、スナック菓子、温めるだけの食品などでしょうか。労働者、消費者として資本家から搾取されつづける弱者を作ったのです。

「科学技術」を考え直す

斎藤さんはフランスのマルクス主義者アンドレ・ゴルツの論考を示しています。

まず、ゴルツは、資本主義における技術発展の危険性をはっきりと指摘している。ゴルツによれば、専門家に任せるだけの生産力至上主義は、最終的には、民主主義の否定につながり、「政治と近代の否定」になる。

人新世の「資本論」p 226

一握りの人しか知らない技術は危険です、という事です。

その上で、生産力至上主義の危険性を避けるためには、「開放的技術」と「閉鎖的技術」の区別が重要である、とゴルツは述べた。

人新世の「資本論」 p 226

「閉鎖的技術」では、世界的危機には対応できません

なぜなら、世界的危機はどこにも転嫁できないので避けることができません。おまけに差し迫っています。今、世界中の人が連携しなければ乗り越えられないからです

さらに、「閉鎖的技術は」一部の人しか知りません。それを良い事に、資本家は革新的なモノができます!というマボロシを消費者にみせて、さらに財産、体力などを奪おうとします。自然を壊そうとします。

しかし、その技術は余計に自然を破壊したり、将来にツケを回すものだったりします。まさしく3つの”転嫁”のそろい踏みです。

私たちは、もう一度、別の社会を思い描けるようになるために、資本の包摂に抗い、想像力を取り戻さなくてはならない。マルクスの「脱成長コミュニズム」はそのような想像力の源泉なのである。

人新世の「資本論」 p230

生きるために本当に必要なものは何だろう、一人ひとりが心底考える時なのです。

「価値」と「利用価値」

「価値」とは貨幣で測ることができるもの。利用価値」とは生きるために絶対必要な水、空気のようなもののことです。

もう少し説明すると、水には「利用価値」があります。生きるために絶対必要だからです。

しかし、ペットボトル水のように商品になる「価値」がでます。資本家はそこに目を付けます。

水道が民営化されると、企業が利益を上げることが目的となるため、システム維持に最低限必要な分を超えて水道料金が値上げされる。

人新世の「資本論」 p248

日本も2018年に水道法が改正されたので、他人事ではありません。

水道水の質が下がることもあります。そうすると”〇〇の水”などと希少価値をつけて、「価値」を高めた商品を売る資本家が現れます。

けれども、生きるために必要なのは「利用価値」です。水は川に流れています。井戸を掘れば出てきます。日本にはたくさんあるのです。

地域・地球を、持続可能な「コモン」として資本の商品化から取り戻す

〈コモン〉とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富のことを指す。

人新世の「資本論」 p141

生きるために必要なものは自分で作りましょう。大企業から買うことは、搾取に協力すること。頑張って地域を盛り上げている生産者のものを探して、購入することで応援しましょう。

余計なモノを作ると疲れるし、それがもとで争いが起きます。大量生産、大量消費はやめましょう。

生きるために必要なモノ、つまり「利用価値」のある「コモン」はみんなで管理しましょう。



マルクスは100年前に戻ろう、と言ったわけではありません。

生産者たちが、自然科学を使って、自然との物質代謝を「合理的に規制」することを、マルクスはあくまでも、求めていたのである。

人新世の「資本論」 p 226

〈コモン〉のポイントは、人々が生産手段を自律的・水平的に共同管理するという点である。

人新世の「資本論」 p258

「利用価値」があるモノはみんなで管理しよう。「開放的技術」も「コモン」として共同で管理しようと言っています。

これを「民営化」をもじって、市民の手による「〈市民〉営化」と呼ぼう。

人新世の「資本論」 p259

地域・地球を、持続可能な〈コモン〉として資本の商品化から取り戻す= 脱成長コミュニズム

私はこう捉えています。

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