私が生きる道は、子どもが教えてくれた。カネもうけより、人として生きる

安部司著「食品の裏側」と藤村靖之著「非電化思考のすすめ」 本いろいろ

子どもの「無邪気な一言」が、ずしりと胸に響くことがあります。

このお二人は、お子さんがきっかけで、自分の生き方をゼロベースで見直し、軌道修正されました。

破格の待遇だった会社を「すぐ退職」しても、それが運命なら、その後も生活できるのですね。こんなお二人の著書を、ザックリとご紹介します。


きっかけは、子どもの行動

お二人は、「愛するお子さん」のこういう行動で、「生きること」をゼロベースで考え直しました。

「食品の裏側」安部司さんの場合

安倍さんは大学卒業後、ある食品添加物の専門商社に就職しました。食品加工メーカーや工場に、添加物の使い方を提案、販売するのがお仕事です。


「食品添加物の神様」と呼ばれて

扱う商品に通じていなければ、お仕事になりません。猛勉強の末、食品添加物に関する知識を獲得。それを食品加工会社に提供し、製品を作る手助けをしました。

餃子の皮の製造工場では、仲良くなった工場長が、

「皮を抜くときに機械にくっつくことがあって、そのたびに機械を止めなくてはいけないんだ。何とかならんかね?」

と訊いてきたことがありました。

そこで私の顔はまたまたぱっと輝き、

「じゃあ、『乳化剤』を入れましょう。作業がグンと楽になるし、ひからびも防げますよ。あと『増粘多糖類』も入れると、コシが強い皮になります。それぞれ2種類ずつ使ってみたらどうです?」

また「悪魔のささやき」の始まりです。

食品の裏側 安部司 著 東洋経済 P22


安部さんのアドバイスの結果、機械効率が格段に上がりました。

「いやー、あれを入れたら機械が一度も止まらなくなった。あの『クスリ』(注・業界では食品添加物をこう呼びます)はすごいよ」

と大喜びです。

食品の裏側 安部司 著 東洋経済 P23

こうして食品添加物をバンバン販売。「食品添加物の神様」と呼ばれるまでになりました。

そんな安部さんですが、食品添加物の毒性を知らなかったわけではありません。完全に頭には入っていたのです。ただ、それが「机上の論理」だったことが、ある事件で分かりました。


おいしいミートボールの正体

その日はお子さんの誕生日お祝いの料理がテーブルの上に並んでいます。

そのなかに、ミートボールの皿がありました。それを何気なく口に入れた瞬間、安倍さんは凍り付きます。

それはほかならぬ、私が開発したミートボールだったのです。

食品の裏側 安部司 著 東洋経済 P35

さすが神様。すぐわかるのです。

間違いありません。自分の開発した商品でありながら、うかつにもミッキーマウスの楊枝と、妻がひと手間かけてからめたソースのために、一見わからなかったのです。

・・・・・・

「ちょ、ちょ、ちょっと、待て待て!」

 私は慌ててミートボールの皿を両手で覆いました。父親の慌てぶりに家族は皆きょとんとしていました。

食品の裏側 安部司 著 東洋経済 P36

このミートボールは、ドロドロのくず肉に30種類の食品添加物を入れて作られたモノでした。

他人事だった食品添加物の毒性が、自分事になった瞬間です。



ぬぐえない罪悪感

 このミートボールは、それまでの私にとって誇りでした。

 本来なら使い道がなく廃棄されるようなものが食品として生きるのですから、環境にもやさしいし、1円でも安いものを求める主婦にとっては救いの神だとさえ思っていました。私が使った添加物は、国が認可したものばかりですから、食品産業の発展にも役立っているという自負もありました。

 しかし、いまはっきりわかったのは、このミートボールは自分の子どもたちには食べてほしくないものだったということです。

食品の裏側 安部司 著 東洋経済 P41

国が認可したものを、認められた量だけ使っていても、罪悪感がぬぐえませんでした。

 たとえは適切でないかもしれないが、軍事産業と同じだと思いました。人を殺傷する武器を売って懐を肥やす、あの「死の商人」たちと「同じ穴のむじな」ではないか。

食品の裏側 安部司 著 東洋経済 P43

 ただし、それでも、私は法を犯してきたわけではないのです。国の定める基準にきちんと従って添加物を使用してきました。使い方も量も基準を守ったし、ラベルにも正当に表示をしてきました。

 そう考えてもやはり、罪悪感はぬぐえませんでした。

食品の裏側 安部司 著 東洋経済 P45

思い立ったら、即行動

その結果、

 翌日、私は会社を辞めました。

食品の裏側 安部司 著 東洋経済 P46

「家族から反対されなかったの?」と、逆に心配になります。




「非電化思考のすすめ」藤村靖之さんの場合

では、藤村靖之さんのきっかけをご紹介します。

きっかけは息子のアレルギーぜん息

藤村さんは、大企業の熱工学研究室長として、日本における科学技術開発の第一線で活躍していました。

しかし、空気のきれいな所で大切に育てていた息子さんが「アレルギーぜん息」になります。調べていくうちに、空気が汚いことが原因で、さらに空気が汚いのは「化学物質の氾濫」が原因だと分かりました。

彼(注:藤村さんのこと)自身がやった調査では、市販の布団から28種類の化学物質が検出されたという。もうひとつ、からだの表面や体内の微生物が激減しており、それがアレルギーの大きな原因になっていること。彼のかかわったある研究によれば、子どもの腸内の微生物の数はこの10年で半減しているという。

スロー・イズ・ビューティフル 辻信一 著 平凡社 p84

この本の著者 辻信一さんは、藤村さんのお弟子さんです。

藤村さんは、自分が行った試験で、こういう事実を知ったのです。



自分が信じた科学は、人を幸せにするのか?

そして、「科学技術が生活を豊かにしている」というのは、間違いでは?と考え始めます。

 本当に驚きました。そして気づきました。

 僕たちが進めてきた経済成長というのは、環境や子どもの安全や心の豊かさを犠牲にしたうえで成り立っていたということを……。

非電化思考のすすめ 藤村靖之 緒 WAVE出版 p84

安部さんと一緒で、気が付いてしまったのです。


気が付いたら、即行動

それまでも、自分がしたいように研究させてもらっていた藤村さん。

これからは「もうけ度外視」「環境と子どもの安全」で仕事をするよ、と会社に宣言します。

 僕の提案に、会社は大反対です。そんな寝ぼけたことはいいから、いままでのようにもうかることをじゃんじゃんやってくれ、というわけです。

 時は1984年、バブル景気直前の経済成長のまっただ中でしたから、会社が反対するのも無理はありません。

・・・・・・

 でも、いったんやりたいことができたら、ほかのことは考えられないというのが僕の性格です。会社をやめて、独立開業しました。

非電化思考のすすめ 藤村靖之 緒 WAVE出版 p85

会社を辞めて「環境と安全のために、自分の能力を使う」と決心したのです。


酷似する「仕事に関する考え方」

私なりに、お二人の共通点をまとめてみました。

正義感が強い努力家

お二人とも、世の中の役に立ちたい、自分の能力を高めたい、そのためには努力は惜しまない、という「正義感」が強い「努力家」です。

多少自分がつらくても、みんなが喜んでくれるのなら努力を惜しみません。


徹底的に「経済成長」「資本主義」につかる

お二人とも、世間の流れに何の疑いもなく身を任せ、自分の能力をいかんなく発揮していました。会社も売り上げ爆増、本人のお給料も破格、みんな大喜びです。

とても充実した毎日だったと思います。



だからこそ気がつけた「人として大切なモノ」

けれども、努力の方向が間違っていたと、子どもを通じて気が付きました。そして、気が付いたら即実行!行動力があります。



そんな二人の現在

安部司さんは、「添加物の裏表」を世に広めるべく、活動されています。

この本がすごい!私も使ってご飯を作っています。

藤村さんは「非電化工房」を作り、人工合成化学物質や電気に頼らない生活を提案しています。

※画像をクリックすると、サイトに移ります

そして最近、こんな本を出版されました。


もし、あなたが今「生きていくのが辛い」「はたらくのが苦しい」と感じているのなら、ひょっとすると、努力の方向が間違っているのかもしれません。

金銭的には満たされているのに「なぜか空しい」「心が楽にならない」のであれば、違うところに「生きる道」があるのかもしれませんよ。

一度立ち止まって、「おカネ」の意味を考え直すことをおすすめします。

私たちは「生きるために、はたらいている」のです。「はたらくために、生きている」のではないのですから。

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